

大原孫三郎人物伝
- 「儂の眼には十年先が見える。」
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第2代社長 大原 孫三郎 
 【社長在任期間:1906年(明治39年)9月 〜 1939年(昭和14年)5月】
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孫三郎は、初代社長大原孝四郎の次男として生まれました。クラボウに就職後、孝四郎の跡を継ぎ、2代目社長に就任。社長就任後は、世界恐慌など深刻な不況の波にもひるむことなく事業の多角化と従業員のための環境改善施策を次々と進めました。当時、ほとんどの重役や関係者たちに猛反対されますが、「事業に冒険はつきもの、儂(わし)の眼には十年先が見える」と語り、当時一般的だった慣習や古い考えを改め、経営者として様々な改革に取り組み今日のクラボウの礎を築きました。 
大原孫三郎 年表
- 1880年
 (明治13年)
- 大原孝四郎の次男として倉敷村に誕生 幼少期の孫三郎 
- 1899年
 (明治32年)
- 岡山孤児院に石井十次を初めて訪問
- 1902年
 (明治35年)
- 倉敷本社工場寄宿舎に尋常小学校を設置
- 1904年
 (明治37年)
- 家督を相続
- 1906年
 (明治39年)
- 倉敷紡績社長に就任 明治40年頃の孫三郎 
- 1908年
 (明治41年)
- 倉敷本社工場、分散式家族的寄宿舎の建設に着手
- 1909年
 (明治42年)
- 大阪に愛染橋保育所設置
 倉敷電燈(現 中国電力)設立
- 1914年
 (大正3年)
- 大原奨農会農業研究所(現 岡山大学 資源植物科学研究所)設立
- 1917年
 (大正6年)
- 石井記念愛染園設立 分散式家族的寄宿舎 
- 1919年
 (大正8年)
- 大原社会問題研究所(現 法政大学 大原社会問題研究所)設立
- 1921年
 (大正10年)
- 倉敷労働科学研究所(現 大原記念労働科学研究所)設立
- 1923年
 (大正12年)
- 倉紡中央病院(現 倉敷中央病院)開院
- 1926年
 (大正15年)
- 倉敷絹織(現 クラレ)設立、社長に就任
- 1930年
 (昭和5年)
- 大原美術館開館
 紺綬褒章飾版授与
 中国銀行設立、頭取に就任 工場内での華道教室 
- 1939年
 (昭和14年)
- 倉敷紡績社長を退任
- 1943年
 (昭和18年)
- 永眠 正五位に叙する
“時を超え、今に息づく
大原孫三郎の志”
労働環境の改善
社会福祉・地域振興
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 1914年  現在 岡山大学 資源植物科学研究所- 農業従事者の福祉向上のための農事改良
- 農業の科学的研究と農民の福祉向上の必要性を感じた大原孫三郎が大原奨農会農業研究所の名で設立。多彩な品種改良で果物王国・岡山県の礎を築いた。
 
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 1917年  現在 社会福祉法人
 石井記念愛染園- 診療、困窮者の保護など近代的隣保事業の先駆け
- 明治20年に22才の若さで、我が国初の孤児院を創設し社会福祉事業の先駆者と呼ばれる石井十次。その彼を支援した大原孫三郎が設立した社会福祉法人。
 
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 1930年  現在 公益財団法人大原芸術財団
 大原美術館- 日本最初の西洋美術館
- 大原孫三郎は自らが設立した大原奨学会で美術を学んだ児島虎次郎の願いを受け入れ、西欧美術の収集も支援。その膨大なコレクションを収めた美術館。
 








